宮崎県議会議員 清山知憲(きよやまとものり)のブログです。

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宮崎県議会議員 清山知憲ブログ

ノロウイルス集団感染について

メディアによって報じられている通り、県内の医療機関でノロウイルス感染症が集団発生し、それを原因とした嘔吐による誤嚥性肺炎で70代から80代の高齢の寝たきり患者さんが亡くなられました。
まず亡くなられた患者さんとそのご家族、そして今なお重症であられる患者さん方へ心よりお悔やみと一刻も早い回復を祈っております。

しかし昨日からのメディアの報道には「またか」という感慨を禁じ得ません。
今まで同様の事例が全国でも発生し、同様の問題が議論されてきましたが、進歩しておりません。
こちらの「感染症診療の原則」もご参照下さい。

いずれのメディアも一様に、「犯人捜し」に汲々としております。
当該医療機関のどこに落ち度があったのか、教科書通りの感染対策は行われていたのか、県への報告のタイミングは適切だったのか、関係者への説明責任はどうなのか。
なかには、医療機関の態度を「開き直った」とか、「ずさん」、「認識に甘さ」、など明確に病院を非難する報道も見受けられます。

一方、私の周囲の医療関係者は一様に、こうした報道には疑問を抱いておりますし当該医療機関を必ずしも責める気にはなれません。
なぜでしょうか。

国立感染症研究所の提供している情報(IDWR)によると、12月3日から12月9日の間の感染性胃腸炎の定点辺り報告数は全国で19.62、一方宮崎県の定点辺り報告数は35.94で、これは全国一です。
全国で最も感染性胃腸炎が流行している県は宮崎県。
そして、今回集団感染の発生した病院は病床数64床ですが、聞くところによると全てが療養病床であり、相当数の患者さんが寝たきりで胃瘻により流動食をとっておられたとのこと。
寝たきりで免疫力の落ちた高齢者を多く抱えているところに、感染性胃腸炎が全国一流行していれば、どこかから院内へ感染が持ち込まれるリスクはかなり高いです。
ノロウイルス感染症が発生して重篤化しても不思議ではない、そうした印象を多くの医療者は抱いてしまいます。
もちろんそれを予見して感染を抑えるための最大限の対策を講じておく必要があるというのは当然の意見でしょう。
しかし、感染症専門医やICT(インフェクションコントロールチーム)が常に活動している大病院とは異なり、中小病院です。限られた人員と資材(実際にガウンが足りない状況はあった)でどれほどの最善(最善とは理想とは違います。持ち合わせのリソースを最大限活かして取ることのできるベストという意味です)を尽くすことができたか、それは慎重な検証が必要です。

感染症専門医、青木眞先生のブログ「感染症診療の原則」のエントリーを引用すると、
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また、高齢者は「ノロが原因で死亡」するのではありません。毎日の記事では病院を批判する立場でその因果関係を書きたいようですが、重症化するのはノロだからじゃないです。高齢だからです。
高齢でしかも、自分で動けない食べれない飲めない、吐き出せない、伝えられないからです。
高齢者が多い病棟や施設では、動ける場合でも、認知症があったりして、手洗いや清潔の指示を守ることが難しかったり徘徊してあちこちさわったりとたいへんです。環境汚染は医療者の努力だけでは解決できません保てません。
おむつをはずしてコネコネしたりするひともいます。
そういった、家ではみきれない、急性期病院では長期に受け入れができない高齢者を看ているのは、待遇もよくない、心身ともにきつい介護の現場です。人手もたりてません。
ゼロリスク信仰はかえってシステムを崩壊させるので、病院が「悪い」んじゃね?という議論にもっていくのは逆効果。
もうやめよう、となって廃院になったら困るのは地域の人たちです。
仮に、絶対に感染させるなというなら、「24時間観察・お世話する人」を特定患者限定で準備するしかありません。
そうご提案ください。そして言うからにはその費用も責任をもって確保できるよう動いてください。
それなりの投資が必要ということです。
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いったいどの時点でノロウイルスと疑うことが妥当だったか。それは現場の当事者になってみないことには軽々に言えません。
「後医は名医」という言葉があります。
病気を発症して早期の段階で診察する医師より、時間が経ってあとで診察する医師の方が多くの情報が揃っていて(患者さんの症状も増えてきてヒントが増える)、診断も用意になってくるという事情を背景に、後で診る医師の方が名医と思われる、という意味です。
発熱して数時間で外来にこられる患者さんがおられますが、はっきりいって診断はつきません。
その後にリンパ節が腫れ、関節痛、咽頭痛が出現して後にインフルエンザだったと分かる場合もありますし、腹痛と下痢を後で発症して感染性胃腸炎だったと分かる場合もあります。極端な例ではHIV感染症だったと判明する場合もあります。
ノロが流行していない段階で一人の患者が嘔吐したとき、その時点でノロウイルス感染症だと診断すべきだったか否かは簡単には断定できない話です。

また、保健所や県への連絡が遅くなったという報道があります。
今この段階でこそ保健所は連日のように病院に立ち入って指導や助言にあたっておられますが、連絡が早ければこの集団発生を防ぐことができたかというと、非常に微妙。一瞬でガウンを調達してくれて、不足している看護師さんや専門知識を持った保健師や医師が常駐してくれるような支援体制があるならばいいのですが、現実はそこまでしてくれないしできないでしょう。
目の前の火事の消火活動にかかりきりで、他の患者さんや家族への説明が不十分になってしまう事態も想定できます。

標準予防策(スタンダードプレコ?ション)と呼ばれる感染対策を徹底していない、ということも指摘されます。
じゃあ、どうして徹底できなかったのか、やむを得ない事情があったのか、それとも日本のほぼ全ての医療機関に存在する、感染制御への意識の低さ、もっと言えば臨床感染症専門医やインフェクションコントロールナースの位置づけ、その他診療報酬や看護体制の問題などが背景にあるのか。
建前だけではない、現実的な検証と具体策を議論する必要があります。
メディアの方々は、この問題を一医療機関特有の瑕疵として報道していいものか、その結果はどうなるだろうか想像を巡らせ、真剣に考えて頂きたいと思います。

そもそも、医療行為上発生する有害事象を社会的制裁や刑事罰の対象にするか否かは以前より議論があり、これはどう考えてもその対象とすべきではありません。
今回の事例で亡くなられた患者さんやその他感染された患者さん、ご家族に対してはあくまで個別にその医療機関が対応するところであり、今回の事例を振り返って何を改善すべきだったのかという反省は医療者の自律的意志によって行われるべきだと思います。
私も当事者ではなく外野にいるだけですので、内部のことについては今後の検証をまたなければ何も言えません。
ただ患者さんの診療に日々あたっており、一刻も早く治癒して欲しい、集団感染が早く終息して欲しいと願っているのは誰よりもその医療者です。社会的制裁や刑事責任を求めても、一つもいいことはありません。断言できます。

亀田総合病院の副院長をされている小松秀樹先生は医療過誤などをテーマに含む著書を何冊か出版されておりますが、そのなかの「医療の限界」(新潮新書)で書かれている内容を紹介します。
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第二章 無謬からの脱却 P42
裁判官、検察官を含む公務員個人に対して損害賠償請求ができるかどうかについて、説は分かれています。国家賠償法第一条一項では、「国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と規定しています。
 同二項では、「前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があったときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する」と、国または公共団体が、故意と重過失に限定して公務員に求償できるとしています。
(中略)
宇賀克也氏が書いた『国家補償法』には、以下のような記述があります。
「行政が非常に複雑多岐化した今日においては、公務員は自己の職務上の行為の適法性を判断することが困難な場合が稀でなくなり、また、公的部門においては、積極果敢に行動することにより公益が増進されても当然視されることが多いのに対して、自己の行動が国民に損害を惹起すると、強い批判を浴びる傾向がある」
「公務員は、市場メカニズムに委ねることが困難な公共財を提供することが義務づけられることが多いので、その不作為による機会費用は大きいが、不作為による被害は作為による被害に比べて一般的にいって可視的でないため、前者によって訴訟を提起される可能性は、後者によるそれに比べて小さいといえると思われる。そのため、公務員個人責任を認めることは、公務員を危険嫌忌的(risk-averse)にし、公務の適正果敢な運営を阻害し、ひいては、公的部門の人材確保を困難にするおそれがある」
(引用終わり)
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医療は公共財です。上記の文章で、公共財を医療に、公務員を医師に置き換えると、医療においても全く同じことが言えます。
院内感染をゼロにする方法は何か。それは入院患者をとらないことです。
今回のように死亡事例をゼロにするにはどうすれば良いか。それは高齢者を入院させずに若くて他に病気の無い人だけ入院させることです。
社会的責任や訴訟リスクを忌避して安全な医療に偏ることを、defensive medicine、防御的医療といいます。医学的妥当性、医療経済的妥当性を超えた過度な検査、治療もその一つです。

センセーショナルで面白いかもしれませんが、医療が過度に危険嫌忌的になって国民生活に影響が出た時、メディアはその責任を取ってくれるのでしょうか。
それとも、今回の事例を通して病院現場はこれだけ大変で建前通りにいかないから公共事業に予算をつぎこむよりも、病院現場、感染対策に予算をつぎ込んでくれよ、投資してくれよとアピールしてくれていると好意的にとるべきでしょうか。そう期待しております。

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